あなたは、そばにつゆをたっぷりつけて食べる派?
それとも、ほんの少し先の方だけつけてすする派?

[PART1]

そばが今のように細長く切られて食べられるようになったのは、以外に新しくて、江戸時代のはじめごろ。
新しい食べ物”そば切り”が、当時の江戸で大流行したそうです。 これに関連して江戸っ子気質をよく表しているたとえ話を本で読みました。これが大変面白い!!
威勢よく暖簾をかきわけて入ってきた男が、「もりを一枚、急いどくれっ!」って注文する。
蕎麦屋の主も心得たもので、さっと出す。
ずるずる、ずるずる、ずるずるっ、ずるっと三口半でそばをすすり終えると、
「勘定はここに置いとくぜぃ!」って言葉を残してさっと表へ飛び出していった。
当時の江戸っ子はせっかちで、見てくれのかっこよさ、気風のよさが身上で、 ゆっくりしたのが性に合わない。
でもそれがために痛い目に合うってこともずいぶんあったようです。
長屋のご隠居さんが、最後に本音を言って愚痴ったという落語の噺、ご存知ですよね。 これも負けず劣らず面白い!
臨終まぎわのご隠居に何か言い残しておくことはないか、と問いただしたら
「最後に一度でいいから、つゆをたっぷりつけて蕎麦を食いたかった・・・」
そばの食べ方は人それぞれ、その人がおいしいと思う食べ方が一番おいしいのではないでしょうか。
ちなみに私は、たっぷりとつゆをつけて食べる派です。

[PART2]

そばにたっぷりとつゆをつけて食べる派をハッキリと宣言した私としましては、 甘んじてご批判を受ける覚悟はできております。 しかも、つゆは甘めの濃いめが好きなのでございますよ。(うっ!・・・言っちゃった!!)
なんてヤツだ!そんなやぼったいそばの食い方あるものか!?
そんなにたっぷりつゆをつけたら、そばの香りが死んじまわぁ~!!
俺なんざぁ~、最初のひとすすりはつゆなしでぇ~!!
そばは噛むもんじゃねぇ! 呑み込むもんだ!のどで味わうものですよ!!
・・・たいそうキビシイお声が聞こえてまいりますなぁ~。。。
確かにPART1で話題にした江戸っ子のいなせなお兄さん、かっこいいですよねぇ~。
「勘定ここに置いとくぜぃ!」・・って、一度は言ってみたいセリフですよね。
でも、わたしの場合には、「あっ!お客さん!お客さん!!これじゃ勘定足りませんよ!!」・・ってなことになりそうで、
二の足を踏んでしまうのです。

[PART3]

PART2で話題にしたごとく、ご批判がかくもあまたにあると言うことは、 やはりそばの先にほんの少しつけてすする派が、正統派と言えるのでしょうか?
つゆをたっぷりつけて食べる派をハッキリ宣言してはみたものの、雲行きの悪さに、少なからず不安にかられるのであります。 しかし、忽然と思い出したのであります。強い見方がいらっしゃったことを!
将棋を指さない人でも、大山康晴十五世名人のお名前だけは、お聞きになったことはあるでしょう。
そう!この不世不出の大名人が、実はつゆをたっぷりつけて食べる派だったという逸話を かって将棋雑誌で読んだことがありました。
もう30数年ぐらいも前のことになろうかと思います。 大名人にもようやく陰りが忍び寄ってきて、中原さんにその地位を明け渡さんとしていた頃に書かれた記事であったと記憶しています。
話はこうです。そこから更にさかのぼること10数年、名人の全盛期のころの逸話のひとつ。
名人と当時A級八段(確か後の将棋連盟会長丸田祐三九段であったと記憶しているのですが・・・)が、 若い記者と連れ立って蕎麦屋に立ち寄った。 そばを注文して注文のそばが出されるまで、丸田八段がそばの正統派の食べ方について、若い記者に講釈をしたというのです。
名人は目を細めてその話に聞き入っていたそうですが、 そばが来て食べる段になると、これ見よがしに丸田八段の目の前で、そばにたっぷりとつゆをつけて口に運んだ・・・というのです。
棋士は商売柄自己主張が大変に強く、相手に迎合することを嫌う。 盤上はもちろんのこと盤外でもいったん言い出したらあとに退かない・・・ こういった棋士気質について書かれた記事だったと記憶しているのですが、さすがは大名人、並の人には真似のできないことですよね。
はたして本当に大山名人は、たっぷりとつゆをつけて食べる派だったのでしょうか? 残念なことに故人になられて久しいので、お聞きすることもかないません。これもまた私ごときにはかなわぬことですが、森内名人と羽生四冠にもお聞きしてみたいですね。 でも結果は分かっています。一方がすする派なら、もう一方はたっぷり派に違いありません。
ちなみに私も将棋を指しますが、悲しいことに・・・・ 頭に金を置かれるまで自玉の詰みに気がつかない・・・といったレベルなのですよ。
金底の歩は岩よりも固いそうですが、玉頭の金は岩よりも重かったのであります・・・・(涙!

[PART4] 

日本を代表する明治の文豪といえば、漱石と鴎外ということになりましょう。 今回はその漱石より題材をとってみたいと思うのです。
PART3では、大名人を無理やり引っ張り出して、つゆをたっぷりつけて食べる派にしてしまった手前、 つゆをほんの少しつけてすする派にも著名人を紹介しなければ、片手落ちというものでしょう。
そこで漱石の登場となります。いや正確には漱石の著した「猫」、そう「我輩は猫である」の迷亭先生にご登場いただこうと思うのです。
高校生の頃は、漱石と鴎外の作品を意味もよく分からないままに無理やり読まされたものです。 ・・・そのわりには、よく覚えていたものですなぁ~。
迷亭先生だったかクシャミ先生だったか記憶が定かでなっかたので、図書館へ出向いて調べてまいりました。
ありました!ありました!!迷亭先生がナントそばの食い方の講釈をしているではありませんか。
「この長いやつへツユを三分一つけて、一口に飲んでしまうんだね。噛んじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。 つるつると咽喉を滑り込むところがねうちだよ。」
「奥さん、ざるは大抵三口半か四口で食うんですね。 それより手数をかけちゃ旨くくえませんよ。」
(仮名づかいは読みやすいように変えてあります)
はたして漱石は、すする派だったのでしょうか? それともたっぷり派だったのでしょうか?・・・そして鴎外は?
でも漱石は、若い時から胃潰瘍の持病持ちであったというではありませんか。
さすれば、たっぷりとつゆをつけて食べる派の私としましては、 そばといえどもよく噛んで食するにこしたことはないと思うのであります。

[PART5] 

我ながらよくもまぁ~取るに足らないことを話題にして、4回(今回も入れると5回)もつまらぬことを書いたものだと思います。
読者の皆さんは、そばの食い方なんぞどうでもいいだろうよ・・・と、さぞかしあきれかえっておられることでしょうね。
この調子だと、とどまるところを知らないまま際限なくこのテーマで書き続けそうな気がしますので、 いったんこのテーマに関しては筆をおくことに致しましょう。
ただ、そば切りとしてそばが一般大衆に広く食べられるようになった江戸時代の初めより今日にいたるまで、 結論が得られぬまま論じられてきたという一点だけは、間違いのないことであります。
さしずめ、うまいものはうまく食いたいという、我がまま極まりない人間のなせる業・・・とでも言葉を濁して、 たっぷりとつゆをつけて食べる派の私としましての結論とさせていただきましょう。